民主主義とその周辺

研究者による民主主義についてのエッセー

「2014年都知事選から日本の民主主義のこれからについて考える」(1)ーー民主主義における反復とその切断についてーー

今回の都知事選は、400万票も獲得した前知事の就任1年程での辞職に始まり、総理経験者の出馬やネトウヨと呼ばれる極右勢力に支持された候補者の登場など話題には尽きなかった。しかし、結局、予想された通りの結果で幕を閉じた。この結果については、予想された通りのものだっただけでなく、いつもながらのありふれた結果でもあった。50%に満たない投票率、強固な組織票をもった政党に支援された候補者の圧勝。ここに、半数近くの有権者の政治的無関心と不参加の下で、圧倒的な政治的資源をもつ組織が選挙結果を決定するという、しばしば繰り返されてきた日本の民主主義――正確には、主権者(選挙権をもつ市民)の意思を代表し、その意思に基づいて主権者の代わりに議会で立法や行政を行う政治家を選出する選挙を、民主主義の...実現可能な制度の要とする代表制民主主義――の一面を見ることができるわけである。

こうした一面だけにフォーカスするなら、特別な政治的利害関心をもっているわけではなく、特定の利益を追求する政治組織に属しているわけでもない、普通の有権者にとって選挙など他人事となるであろう。その結果、ますます民主主義的な政治からの疎外感が社会に広がっていくことを危惧する人もでてくるだろう。既視感さえ覚えさせる今回の都知事選の結果が、民主主義への落胆や不信や不満を増幅させることになっただけだ、と少々悲観的な推測する人も少なくないはずである。

しかしながら、こうした推測に対して、元来、代表制民主主義などそうしたものではないのかと考えてみてはどうか。あまりに空しい今回の選挙結果に落胆したり、その落胆から民主主義への不信感や嫌悪感を抱いてしまいそうな今だからこそ、それは必要なことのように思われる。

投票率の低さに示される有権者政治的無関心や、組織された利益集団の圧倒的な影響力などは、現代の制度化された民主主義においては、むしろノーマルな状態なのではないか。実際、そう考える人たちが専門家の中でもほとんどである。そうした考えによれば、今回の選挙の結果は、日本における代表制民主主義が正常に機能していることを示しているに過ぎないのだ。

そのわけを簡単に見てみよう。政治的無関心の蔓延や政治的知識の低下、そこから必然的に帰結する、投票という最低限の政治参加の減少。これらは、現在の先進諸国の多くに共通する現象として、様々な調査から簡単に確認できる。それは、巨大化し分業化が進んだ社会において必然的に生じる事態である。むしろ、きわめて限定された影響力しかもたず、専門的な知識もなく責任ある判断もできない普通の人びとが挙って、政治に関心をもち、積極的に参加しようとする事態が生じたとすれば、それこそ異常なのかもしれない。

らに、複雑化した社会で代表制民主主義が機能するには、政治と普通の人びとを結びつける媒介が不可欠であり、その一つが政党およびそれを支える様々な利益集団である。したがって、これらの政党や利益団体が活発な競争をとおして選挙のプロセスに影響を及ぼうそうとすることはむしろ必要なことなのだ。こう考えるなら、選挙における投票率の低さや政党および利益集団の影響力の大きさは、民主主義の失敗でも機能不全でもなんでもない、ということになる。むしろそれは、代表制民主主義の制度設計において想定された事態であるばかりか、この制度が正常に機能するための条件ですらあると言えるのだ。

こうして、選挙がたんに普通の有権者政治的無関心や無力さを助長すると危惧することが見当はずれであるだけでなく、普通の有権者が選挙を通して社会を変えられるのではないかと代表制民主主義に何かしらの期待をもつこと自体、理に適っていないように思えてくる。少なくとも、今回の都知事選の結果から、そのような考えに至っても致し方ない。なぜなら、今回の結果が示していることは、いつもの事態が今回もただ反復されたに過ぎないということだからである。そしてなぜ、こうも執拗に反復されるのかと言えば、それは代表制民主主義が正常に機能しているからなのである。

現在の日本の社会はどうもおかしい、だから政治によって社会を変えねばならないし、変えられるに違いない、だって、日本には民主主義があるからだ、と考えている人たちは少なくないはずだ。そうした人たちにとって、今回の選挙結果が代表制民主主義の正常な機能の表れだと認めることは容易ではないだろう。しかし、そう認め、選挙‐代表制民主主義への過剰な期待を捨て去ることから出発する必要がある。というのも、選挙だけが社会を変える手段ではないからであり、さらに、有権者が代表者を選び、選ばれた代表者に政治を任せるだけが民主主義ではないからである。数年ごとにめぐってくる選挙というお祭りではなくて普段の生活の中で民主主義を模索すること、代表制民主主義とは別の民主主義の取り組みを模索しそれに参加すること。そして、これを地道に続けること。そこに、選挙‐代表制民主主義のこれまでの正常な働きを変容させ、同じ結果の反復を切断する唯一の可能性があるのではないか。