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民主主義とその周辺

研究者による民主主義についてのエッセー

奇妙な選挙と民主主義の蹉跌(前編)――安倍首相による衆議院解散総選挙と有権者の困惑――

第47回衆議院総選挙はなぜ行われるのか?

12月14日の衆議院総選挙まであと一週間をきった。街頭での演説をはじめ各地で選挙活動が行われ、テレビなどのメディアでも、今回の選挙に関する報道を頻繁に目にするようになった。これらは、選挙期間中に良くある光景である。しかし、今回の衆議院の総選挙に関しては、普段の選挙にまして、有権者の間で関心の高まりは感じられない。それどころか、困惑した雰囲気さえ感じられる。これは、多く人たちが抱く印象だろう。

 

それもそのはずだ。ほとんどの有権者にとって、何百億も税金を使い、この時期に選挙を行う理に適った理由が見つからないからだ。与党の側から示された理由は、アベノミクスと呼ばれる、第二次安倍政権が進める経済政策を継続するかどうかを有権者に問う選挙だとか、消費税を10%の引き上げを2017年4月へと延期することを有権者に問う選挙だとかいうものだ。しかし、これらが理に適った理由であると思う人はまずいないであろう。アベノミクスはまだ道半ばの政策であり、有権者がその結果を判断する段階にあるとはそもそもいえない。また、消費税の引き上げ延期という安倍首相の判断に関しても、わざわざ衆議院の総選挙を行うための理由としては説得力を欠く。なぜなら、当時の民主党野田政権と自民党公明党との間で結ばれた、社会保障と税の一体改革に関する三党合意に基づき成立した、「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法の一部を改正する等の法律」には、その附則として景気弾力条項があるからだ。この条項は、消費税の引き上げるかどうかは、「経済状況等を総合的に勘案した上で」、判断するとある。これの条項がある以上、消費税引き上げ延期を決めた今回の安倍首相の決断には有権者にその責任を問うほどの大きな問題があるとはいえない。何より、衆参両院で自公の連立政権は国会で絶対安定多数議席を確保しているのだから、アベノミクスを継続する上でも、消費税引き上げの延期をする上でも、野党の存在が障害にならなかったはずだし、それらの政策の実施に対して世論の強力な反対もなかったはずだ。それなのに、である。

 

衆議院の解散権は憲法上保障された内閣総理大臣の専権事項である。安倍首相が解散すると決断したのであるから、この決断こそ今回の総選挙の理由であり、それ以上でもそれ以下でもない、と考える人がいるかもしれない。すなわち、今回の解散総選挙に関しては法に従い行われたのだから、何の手続き上の瑕疵があるわけでもなく、この合法性こそ今回の選挙の正統性だというわけだ。確かにこれは一つ理由であるが、後編で指摘するように、これが有権者を納得させることのできるものであるかどうかは、はなはだ疑問だ。

 

では、表立って表明された理由に納得ができないとすれば、それらによって隠された衆議院解散総選挙の理由は何か。常識的に推し量るなら、それは安倍首相の権力の維持あるいは強化のためであろう。権力を求めての厳しい闘争の渦中にある政治家が自ら進んで権力を喪失したり弱体化したりするリスクを冒すことがあると考えるなら、政治の理解としては余りにナイーヴすぎる。だとすれば、安倍首相が口先で何と言おうが、解散総選挙を決断した時点で、自らの権力にとって今回の選挙を好機と捉えたからに他ならない。では、どのような好機か。安倍首相が彼のアベノミクスを成功させる上で障害となると見なした敵、すなわち、財政の健全化のために消費税の増税を予定通り行うよう彼に迫る勢力――政治家にせよ、官僚にせよ、財界にせよ――を、選挙で示される民意によって抑え込むという好機だ。

 

今回の選挙が有権者を困惑させる本当の理由

もちろん、これはあくまでも推測にすぎないが、それくらいしか、今回の選挙の理由は見当たらないように思われる。だから、今回の選挙に関して釈然としない印象を持ったり、あるいは、苛立ちや怒りさえ覚えたりする人が少なからずいるのだろう。もちろんシニカルに、政治なんてものはそんなものだという人もいるかもしれない。しかし、今回の選挙は、有権者の一部に釈然としない印象や怒りの感情を生んでいるだけではないのだ。

 

来たる12月14日の投票日にどのような投票行動をとるべきか困惑している有権者がこれまでになく多く存在するようだ。実はここに、今回の衆議院総選挙の特筆すべき問題がある。では、なぜ、今回の選挙で多くの有権者――もちろん、支持政党を持たない無党派層のことだ――は、どの政党に投票すべきか困惑するのか。

 

それは、今回の衆議院の総選挙の実情が、少しずつ日本に定着し始めてきた、政権選択としての衆議院選挙――すなわち、競争する政党のマニフェストを参考資料に、次の首相を選択する選挙――ではなくて、安倍首相およびその政策の信任を問う選挙となっているからである。こう言い換えてもよい。今回の選挙は安倍首相の権力の維持あるいは強化に賛成あるいは反対を表明する選挙なのだ。

 

しかしなぜ、それが困惑の原因となるのか。そのような賛成あるいは反対を表明する選挙ならば、単純多数決原理にもとづいた国民投票型を取るべきであろう。だが、もちろん、そのような選挙は憲法改正時にしか実施できない。だから衆議院選挙で、疑似的な国民投票型の選挙を実施することになったわけだが、同じ選挙といっても、国民投票型選挙と政権選択選挙とは、そもそも制度上、選択の仕方もその目的も異なる。この奇妙なズレが有権者の困惑を引き起こすことになる。

 

現在の日本は議院内閣制をとっている。この制度から見ると、衆議院選挙の目的は、内閣を形成することになる衆議院での多数派政党、すなわち、政権党を、競争する諸政党から選出することを目的としている。その際、有権者は自らの利益や意見を代表する政党(政治家)に投票することになっている。だから、それはある争点に対して賛成や反対を表明することを目的とする選挙ではないし、賛成なら〇、反対なら×を付けるような仕方で行われる選挙でもない。しかし、そうであるにも関わらず、こうした選挙において、安倍首相とその政策への信任が問われるとすれば、信任の場合、自民党もしくは公明党に投票することになるだろう。では、不信任を表明するには、どうすべきか。それ以外の政党、すなわち野党に投票するかもしくは棄権するという選択をすることになる。

 

野党の不甲斐なさ?

しかし、ここで問題が生じる。安倍首相に対して不信任を表明したいにもかかわらず、野党のどの党も自らの利益を代表してくれそうにない場合、有権者はどうしたらよいのか。投票用紙に〇や×を付けるわけにはいかない。また、不信任を表明するために棄権をしたところで、投票率の低下が自公の議席を結果として増やすことになるのだから、棄権は本末転倒な選択ということになる。こうして有権者はどのような投票行動をすべきか困惑することになる。

 

このような事態に直面して、野党の不甲斐なさをひたすら責める人もいるだろう。確かに、そのとおりだ。小選挙区制の下での二大政党制の一翼を担うことを期待された民主党への支持の低迷がこの事態の一因であることは明らかだ。もし民主党をはじめとする野党が自公政権に対抗しうる勢力を持っていれば、今回のように、信任か不信任かを問う国民投票的選挙を政権選択の選挙で代替しても、有権者の困惑はこれほど大きくなかったに違いない。むしろ、そうであったら、今回の衆議院解散総選挙はそもそも行われなかったであろう。

 

しかし、だからといって、今回の事態を野党の不甲斐なさで終わりにすることはできない。対抗的な野党の不在に付け込んだ今回の安倍首相の機会主義的な決断とそれが引き起こした有権者の苛立ちや困惑によって、今回の選挙の奇妙なズレ――国民投票型選挙と代表者を選出する間接民主主義選挙とのズレ――が露わとなったわけだが、このズレは選挙やその選挙を基盤にしている代表制民主主義がどうあるべきかについて再考を迫るからだ。例えば、代表制民主主義の機能やその正統性についての再考だ。実は、こうした点についてもう少し議論を掘り下げることで、今回の選挙に臨む有権者の怒りや困惑が向かうべき行き先も見えてくる。それについては、後編において論じようと思う。