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民主主義とその周辺

研究者による民主主義についてのエッセー

トランプ・ショックと壁に覆われる世界――トランプ大統領の誕生と今後の民主主義の行方――

トランプの勝利はアメリカの民主主義の敗北を意味するのか?

大方の予想を裏切るトランプの衝撃的な勝利は、文字どおり、世界を震撼させることになった。選挙から一週間たった今も、このトランプ・ショックはアメリカの内外を問わず、様々な反応を引き起こしている。そのなかでも、いわば条件反射的に表明されたのが、アメリカの民主主義に対する失望であった。無知蒙昧な大衆による愚かな選択によって、アメリカの民主主義は敗北した、という反応だ。もちろん、そう言いたくなる気持ちは十分わかる。たとえば、トランプが選挙運動の期間中に繰り返した、人種的偏見や女性蔑視にもとづく数々の差別的言動、事実とは異なる発言による中傷と扇動、自分が負けた時には選挙結果を受け入れないなどと仄めかす姿勢。これらはアメリカをはじめとする民主的な社会のルールや価値観と相いれないものであった。また、得票数ではトランプよりもクリントンの方が多かったという事実も、そうした反応に拍車をかける一因だろう。

 

とはいえ、今回のトランプの勝利は、アメリカの民主主義の勝利と考えることもできる。現代の貴族と化した、政治および金融資本のエリートたち――その象徴が、ワシントンD.C.であり、ウォール街である――に対する、普通の市民の反乱としてトランプ現象を捉えるとするなら、反エリート主義というアメリカの民主主義の伝統をこの現象に見ることは難しくない。何より、アメリカの大統領の選出の仕方がかなりユニークであることを差し引いても、自由で公正な選挙を基盤にする民主的な手続きを経てトランプが当選したことは否定しようがない。だから、トランプの勝利を民主主義の敗北として捉えるのではなく、これも一つの民主主義なのだと考えるべきだろう。選挙後、トランプの勝利に異議を唱える若者たちのデモンストレーションがそうであるように、これもまた民主主義のなせる業ということだ。

 

トランプ政治のリスク

しかし、そうはいっても、トランプのようなとりわけポピュリスト色の強い政治家をリーダーにする民主政治には、前回のコラム(http://blogos.com/article/191571/)で論じたようなリスクが少なからずある。トランプは優秀なビジネスマンだから、大統領になれば合理的に判断し、選挙戦での約束はなんのその、現実的な政策を進めていくに違いない。こんな楽観論が広がりつつある今だからこそ、ポピュリズム化した民主主義という理論的な枠組みから見た場合の、次期トランプ政権のリスクについて考えてみる必要があるだろう。

 

一般に、近代民主主義におけるポピュリストの権力の基盤は、既成の代表制度の内部で自分たちの利益を代表してくれる政治家や政党を見出せず、見捨てられたと感じる有権者である。ポピュリストはそうした有権者に対して我こそあなたたちの利益を代表する者だと主張する。代表者を持たなかった有権者はその投票によって、自分たちの利益を実現すべくポピュリストに政治権力を付与する。ところが、そのポピュリストは結局のところ、見捨てられた有権者の利益を実現しない、あるいは、実現できないとしよう。自分たちの利益を代表してくれると考え投票したはずの政治家は、実はそうではなかったという事態だ。ポピュリストは組織された持続的な支持基盤を欠いているため、代表者を持たない有権者に対して受けは良いが、合理的でなく首尾一貫もしていない政策を掲げることがしばしばある。したがって、ポピュリストが政治権力を獲得する場合、そうした事態を招き易い。次期トランプ政権も、彼を大統領に押し上げた原動力といわれる、「見捨てられた」白人労働者層の雇用を取り戻し、生活の安定を確保することで傷つけられた自尊心を回復できるかどうかという問題に直面することになる。

 

この事態が現実のものとなったとき、有権者の側に何が起こるのだろうか。おそらく、ポピュリストを支持した有権者の失望は避けられないだろう。この有権者の多くは、既存の政党や政治家によっては、自分たちの利益や意思が実現されないと考える人びとだ。すなわち、そもそも既存の代表制度に不満を持っている人びとが、ポピュリストを支持するのである。こうした人びとが自分の支持したポピュリストに裏切られ失望した場合、その不信や怒りは、たんに当の政治家に向かうだけでなく、代表制民主主義そのものへ向かう可能性は少なからずある。トランプの失政によって代表制民主主義それ自体に不信や怒りが向けられることになれば、その正統性は低下し、制度として機能不全に陥ることが予測できる。現代の先進諸国の社会の安定が、代表制民主主義の下で正統化された統治によって確保されてきたことは説明するまでもない。だとすれば、こうした事態を招きやすいとも考えらえる次期トランプ政権には、民主的な統治の危機を生み出し、アメリカ社会を不安定化させるリスクが存在すると言える。

 

さらに、支持者との約束を果たせない場合、ポピュリストはマイノリティを攻撃し社会の多様性を敵視する極端に道徳主義的政治、すなわち、不寛容な排外的政治を行うことも考えられる。なぜなら、ポピュリストは、排除すべき敵を名指し、それを徹底的に叩くことで支持を集めるという手法をとるからだ。ここから出てくるのが、少数者集団の抑圧による社会の分断という事態である。トランプの場合、主要な敵は不法移民や宗教上のマイノリティである。彼はすでにこれらの敵を叩くことで、白人の労働者階級の一定の支持を集め、大統領選挙戦を勝ち抜いた。潜在的に存在していた社会の分断を扇動し政治的に利用した結果は、選挙後の抗議デモに端的に表れていると言える。追い込まれたトランプが、こうした扇動によって彼の支持者の不満を和らげようとすると考えることは、ポピュリストとしての彼のこれまでの言動に鑑みれば、けっして突飛なことではない。しかも、そうした扇動は、暴力を封じ込めてきた民主的な統治が危機に直面する中で、白人の差別意識を解き放ち、敵として侮辱された人びとの憎みや恐怖を爆発させるわけだ。こうして、次期トランプ政権は、たんにアメリカ社会を不安定化させるだけでなく、制御されない暴力による社会の分断のリスクとつねに隣り合わせだとさえ言えるのである。

 

確かに、これらは最悪なシナリオにおいて想定されるリスクだ。これに対して、既存の代表制度から見捨てられた人びとの失望は、相変わらずの政治的無関心を助長するだけで終わるという楽観的なシナリオがないわけではない。しかし、イギリスのEU離脱からトランプの勝利へと至るこのところの世界の民主主義の成り行きを見るにつけ、もはや、これまでの常識は通用せず、安易な楽観は許されないようにも思われる。

 

トランプ・ショックが加速させる今後の民主主義の潮流

トランプの勝利に世界が震撼したのは、憎悪を扇動しアメリカ社会を分断させようとした候補者が大統領になったからとか、その結果、今後の世界秩序の激変の可能性が高まったからとかいう理由だけではない。トランプの勝利が、現代の先進諸国の民主主義の潮流に与える影響への懸念もトランプ・ショックの理由の一つだと言える。現在、懸念されているのが、20世紀の民主主義の牽引国であったアメリカにおける典型的なポピュリスト大統領の誕生が、オーストリア自由党オランダ自由党をはじめとする極右ポピュリスト政党の政権掌握を後押することで、ヨーロッパのポピュリズムをますます活気づけ、民主主義のポピュリズム化の潮流を決定づけたのではないか、ということだ。これが意味しているところは、ポピュリズムが代表制度の下での民主主義の病とか例外的事態とかではなく、ノーマルな状態に、したがって、民主主義そのものになることだ。

 

今回のアメリカ大統領選挙が民主主義のポピュリズム化を決定づけたとするなら、そして、民主主義のこうした潮流に危機感を覚えるなら、それを生み出すに至った背景にしっかり目を向けなければならない。確実に指摘できるその背景は、主権国家の衰退の下で、これまでの生活を脅かされ、不安や戸惑いを抱えた人びとが想像以上に増えている現状だ。これまで守られてきた生活の安全や安心、そうした生活への愛着が傷つけられ奪われつつあるのにこの状態を放置する無力で無責任な国家への怒りが爆発しつつある。こうした怒りは、言うまでもなく、冷酷な国家の運営に直接携わったり、影響力を及ぼしたりするエリートたちに向けられる。ポピュリストはこの状況の中から頭を擡げ、人びとの傷ついた心に根を下ろす。ポピュリストは冷酷な国家を厳しく弾劾し、既存の政治家や政党に責任を取らせると公言した上で、強く責任のある国家を復活させることを有権者に約束する。

 

このとき、ポピュリストが提案し、人びとが求めるのが壁である。国境を守るための物理的な壁であり、国内経済を守るための関税としての壁であり、危険な人間から日常生活を守るための差別という壁である。もちろん、主権国家は自らの生存とその下で暮らす国民を守るために、何らかの壁を設けざるを得ない。だから、問題は壁が必要ないということではない。真に問われるべきは、国境に壁を建設し、関税という壁を設けて外国の製品を締め出し、人びとの間に侮蔑と憎しみの壁を作ることで、はたして、国内外の弱肉強食の競争というジャングルの掟によって疲弊し傷つけられた人びとの生活とその尊厳を回復できるのか、ということだ。

 

残念ながら、いくつかの研究が示唆するところでは、そうした壁は実際のところ、有効でないばかりか、新たな問題を生み出してしまうようだ。ウエンディ・ブラウンが論じているように、このことを分かっていながら、壁を建設しようとするなら、その行為は、どうにもならない現実に対する無意識の心理的な防御メカニズムに由来すると考えるべきだ。だとすれば、必要なことは、そのような壁が必要になった、より直接的な原因を直視し、それに手当をすることである。国際資本の論理によって人びとの生活を翻弄する、野放しのグローバリゼーション、それによって脅かされた生活の安全の保障を国家に放棄させる新自由主義。ここにその原因があることは、もはや誰も否定しないだろう。これらを現状のまま放置し続ける限り、現代のポピュリストの跋扈を防ぐことはできないだろうし、ポピュリズム化する民主主義の潮流を変えることもできないだろう。それができなければ、私たちは壁で囲まれたひどく窮屈な世界で生きていくことになるのかもしれない。